当時の車両は愛知の博物館明治村にあります。
たまたま、モニュメントを見ていたら目の前の和菓子店の女将さんに声を掛けられ話していたら貴重なお話をいただけました。
当時はほとんどが駿河屋(和菓子店)の敷地でしたが当時の主人が鉄道ファンで蒸気ではなく電気鉄道が走るとのことで土地の一部を京都電気鉄道の受け渡し下油掛駅を作成させたとのこと、店内には貴重な写真が飾られており様子を今に伝えています。
丁度、すぐ上写真の信号ポールが記念碑があり駿河屋がそこにあります。
横の歩道が当時の線路で白いワンボックスカーが映っているあたりが乗降場でした。
今では道路になっていますが復活の運動も行われているそうです。