前回の大江戸線の続きをやってきましたので早速ブログ記事にします。
ちなみに一つ前の記事に書いた横浜探索の次の日に実行しました。
↑前編
東京都心東部を歩く月島→春日
前回の終了場所の月島駅10番出口からスタートです。
春の陽気を満喫しつつ都道463号清澄通りを北上していきます。
仙台堀川にかかる高橋(タカバシ)の袂には江戸時代の俳人、松尾芭蕉の像が立っておりました。
ここから有名な「奥の細道」の旅が始まります。江戸時代に徒歩で東北を経由して北陸、最後は大垣まで駆け抜ける旅です。
長いこと時間が取れたら現代版奥の細道をやってみたかったりする自分です。
とりあえず、大江戸線の上道をやっていきます……
両国 横網 pic.twitter.com/5TJrHM7Cne
— ぬま_FJH◎@C98 4日目西さ28b (@Numa_FJH) 2020年3月22日
相撲の街、両国には横網という地名があります。「横綱」とよく間違われますが「横網」です。
桜が咲き誇る横網町公園ですが実はここ大正以降の日本史を語る上で欠かせないばしょになります。
元々、日本陸軍の被服廠(ヒフクショウ)があった場所です。
1922年に赤羽へ移転した際に公園化するために東京市が買収しており被服廠跡と呼ばれておりました。
1923年関東大震災の際に東京市民が避難先として身を寄せ合っていたところ地震の二次災害である火災による熱風、さらに避難時に持ち出した家財にも引火、火災旋風の発生によって3万8千人の人々が巻き込まれます。
この人数、当時の地震で亡くなられた方の大半がここ被服廠跡での火災旋風に巻き込まれた方でした。
その方々の法要を行う場所として整備されました。
時は太平洋戦争、東京大空襲直後に移ります。
東京大空襲で犠牲になり身元不明で亡くなられた方の遺骨の多くが被服廠跡に集められ、先ほどの関東大震災で亡くなられた方と合同で法要が行われるようになりました。
現在では無料の博物館も併設されています。
そういえば、祖母も毎年東京大空襲のあった3月には「被服廠跡に行ってくる」と言っていましたが両国にあるとは……自分の無知に恥ずかしさを感じます。
歴史の勉強をしたところで
隅田川を越えます。隅田川も先ほどの歴史の舞台としてもあげられる川ですよね。
喫茶店らい にてナポリ舌舌 pic.twitter.com/q5Qru9jpXa
— ぬま_FJH◎@C98 4日目西さ28b (@Numa_FJH) 2020年3月22日
レコードで店内BGMを流すスタイルのお店でした。レトロな品がいっぱいで黒電話などは個人的に見慣れていましたがレコードは初めてでした(笑)
腹ごしらえをして前に進みます。
上野御徒町を過ぎて湯島天神の横の坂を上り進めば春日に到着です。
春日です pic.twitter.com/k8omXHdWJD
— ぬま_FJH◎@C98 4日目西さ28b (@Numa_FJH) 2020年3月22日
環状部北西を歩く春日→都庁前
今回の大江戸線の上を歩く旅のラストスパートとなる区間に突入です。
大江戸線は駅によってデザインがこだわっているのですがいかんせん地上の姿ばかりを見ることになる旅ですが……飯田橋駅の自己主張の強さよ……
ちなみに隣のレンガ風タイルの建物は警視庁遺失物センターです。
読んで字のごとくの業務の場所です。
新宿区の住宅街をひたすらGo WESTします。
新宿駅の混雑を抜けたら再びの都庁前駅に到着しまして大江戸線の上を行く旅が終了!
・・・(;´Д`)
— ぬま_FJH◎@C98 4日目西さ28b (@Numa_FJH) 2020年3月22日
しかも和光市からですよ奥さん…… https://t.co/VweOivR7Ew
次回の旅も決めたところで光が丘に戻ってみます。(もちろんフリー切符で環状+放射部の全線です。)
2日に分けて制覇したところをおよそ90分で帰ってこれました。
地下鉄って早いし便利ですね。次の徒歩旅はどんな景色でしょうか?
たくさん歩いたのでねビールです pic.twitter.com/rETp7nplOp
— ぬま_FJH◎@C98 4日目西さ28b (@Numa_FJH) 2020年3月22日