ぬま_FJHのポンコツ人生珍道中

多趣味人間による旅の備忘録

平城京と有田鉄道を巡る旅(2024年関西1日目~2日目午前)

久々に大阪宿泊で関西の鉄道巡りをしてきました。

今回の宿泊はいつものキタから気分を変えてミナミは地下鉄日本橋恵美須町の間にある宿に滞在です。

そんなわけで、奈良と和歌山へ向かいましたので備忘録かねてブログ投稿です。

今回も航空便で大阪へ向かいます。

搭乗レビュー→https://flyteam.jp/airline/ana/review/58494

今回のフライトでは最後尾の座席を確保したのでのんびりと過ごしますが、トラブルの影響かぶっ飛ばしてのフライトで久々にちょっと緊張する揺れのなかでのフライトでいでした。

伊丹に到着をしてリムジンバスに乗って南海なんば駅へ到着。

大阪の秋葉原といわれるでんでんタウンを横目にホテルへ荷物を預けて新今宮へ向かいます。

乗るのはJRですが南海新今宮の券売機横に駅スタンプがあったので、押印です。

翌日利用予定の特急サザンの指定席を購入してJRに乗込みます。

下車するのは法隆寺駅です。

法隆寺最寄り駅ですが徒歩20分か路線バスの利用となります。暑さとこの後の予定もあるので訪問は次回のお楽しみにランチを楽しみます。

元々、おいしいと伺っていた町の洋食屋ですが想像以上に美味でした。

近くに撮影が出来そうな場所があったので大阪ミナミから奈良を結ぶ大和路線を撮影します。正式には関西本線ですが、JR難波~加茂は大和路線の愛称で運行しております。

いずれは愛称のついていない加茂~亀山も乗ってみたいですね。

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という一句の舞台である法隆寺が描かれたスタンプを捺して奈良へ向かいます。

十数年ぶりの奈良駅に到着です。

当時はリニアの看板もなく、乗り入れている桜井線に今ついている万葉まほろば線という愛称が設定された直後のため、関東からきた私には愛称も知らずに使ってました。

せっかく来たので奈良公園の鹿さんをみて近鉄に乗込みます。

これから向かう平城京を貫いて大和西大寺駅で下車をします。

奈良時代の日本の首都である平城京です。現在も発掘調査が行われており、順次復元建造物が建設されている地でもあります。

まさしく、その時々でしか見れない景色がある場所ともいえますね。

メインの建物である太極殿です。この平城京は当時の国際道路シルクロード東端でもありました。

太極殿より南の方を望みます。目の前の広場に人々が整列をして儀式などを行ったとのことです。

この平城京ですが、先ほど触れたとおり近鉄電車が貫いてます。

1914年の開業当時は平城京の範囲ははっきりしておりましたが、世間の平城京に対する注目も薄く、開業となりました。

線路移設も検討がされていましたが、工事にかかる費用と所要時間増加などの実務的なところはもちろんですが、遺跡の中を走る鉄道ということで観光要素もあるとのことで移設計画については現在はあまり動いていないようです。

そんな景色を眺めつつ、平城京を流れる風を浴びつつ大阪へ戻ります。

でんでんタウンを巡って道頓堀を散歩します。

今回の宿周辺は繁華街が連続している地域ですので夕食を食べつつめぐります。

高校時代に学校が池袋にあり東京チカラめしの基幹店があったこともあり、たびたび訪ねていましたが……今ではここだけの味になってしまいました。

懐かしい味を楽しんで、時間もまだ早いので行けるところまで南下をいたします。

通天閣のある新世界といわれる地域を進みます。

新世界のすぐ南にあるJRの線路を越えると一気に昭和の商店街が広がります。

旧赤線地域としても知られている飛田新地もこの辺りにあります。

街の端々に遊女の逃亡を防ぐためのコンクリート壁の跡や抜け出しにくい作りなども残っております。

最後に日本で2番目に高いビルあべのハルカスを見て宿へ戻ります。

 

翌日は和歌山県へ向かいますが、予約した特急くろしお3号までは時間があるので谷町九丁目駅まで散歩します。

日本を徳川家が治めていた時代に寺が集められた地域です。この辺りは夕日が古くは美しい丘として夕陽丘として親しまれています。石畳が美しい坂を上っていきます。

山門の彫刻が美しく惹かれるように齢延寺を参拝をして歩みを進めます。

大阪最古の歴史を持つ神社とされている生国魂神社です。「いくたまさん」で親しまれています。神武天皇よりも前の時代から続くとされている神社です。

現在の場所には豊臣秀吉の時代に、移設され現在まで続いているとのことです。

神社を後に、谷町九丁目から地下鉄で天王寺へ向かいます。

やってきた特急くろしお3号は南紀白浜にあるアドベンチャーワールドのラッピング仕様である通称パンダくろしお号でした。

パンダ一色の特急に乗って藤並駅で下車をし路線バスに揺られやってきたのは有田川鉄道公園です。

有田みかんを全国へ輸送するために湯浅港まで運搬することを目的に建設をされ、旅客営業を開始していた有田鉄道を今に伝える公園です。

廃止間際には並行して有田鉄道バスが運行しており、バスの乗車券で鉄道もバスも乗れるような取り扱いを行うなど、廃止にならないような努力も行われていましたが、残念ながら廃線となってしました。

当時の車両を残しており、土日祝など動態保存している車両を走らせているとのことで見学です。

早速、DL17形です。神戸製鋼神戸製鉄所にて使用していた車両です。

後ろについているキハ58の動態として使用されています。

ちょっとした展示もあり、200円の入館料を支払い見ていきますが、当時の切符などが並べられていました。

北条鉄道のキテツ1形です。紀州鉄道から有田川鉄道記念公園にて保存されています。紀州鉄道へ譲渡をする前の北条鉄道仕様で動態保存されております。

公園の入り口から金屋口までが当時の有田鉄道の線路が残っていますので、記念館を後に金屋口駅を目指します。

金屋口駅横の車庫にはもう一両車両が動態保存されていました。

続いてこちらは実際に有田鉄道で使用されていたハイモ180-100形です。

樽見鉄道から譲渡を受けた車両です。

富士重工LE-CarⅡシリーズの一つで、2軸のレールバスです。

ハイモ180-100形を見ていると乗車体験を行っているキハ58系が通過していきました。

こちらは富士急行国鉄中央本線と直通するために作成したキハ58系を譲り受けて有田鉄道で運用しておりました。キハ58系なのに両運転台という異色の車両です。

有田鉄道終点の金屋口駅を見てバスにて藤並駅に戻ります。

当時の有田鉄道線のすぐそばの道路を走るバスに乗って藤並駅、そこから普通列車で和歌山で下車をします。

和歌山ラーメンを食べて、午後に備えます。

 

午後の様子は次のブログ記事へどうぞ!