ぬま_FJHのポンコツ人生珍道中

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思い出話 往復寝台特急あけぼの号でいく青森の旅

新型コロナウイルスで外出控えるのが一番とのことで遠出ができていないので昔の旅の思い出でも書こうと思います。

まだ、ブログも始めておらずしかもスマートフォンなるものが出てきて一部の人が持ち始めた頃ですね。

寝台特急あけぼの というのがあったんですよ。今じゃ寝台特急サンライズ出雲/瀬戸のみになりましたが2014年の3月の改正に定期列車として終了した寝台特急あけぼのに2014年の1月に乗っていたんです。今回はその話です。

※記憶を頼りに書いてるので多少記憶違いもあるかもしれません。

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上野ではかなりの人数が撮影してましたね。

当時、客車で運行する国鉄時代からの最後の定期寝台特急でした。

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そんな上野駅を出発し一路、羽越線経由で青森に向かいます。

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今回の往復はB寝台開放でした。実際、ソロが好みなんですが結局、サンライズ出雲/瀬戸でも体験できるので開放にしました。

※結局、サンライズ出雲/瀬戸に乗ってもシングルを乗る人間になってしまったのですがね(笑)

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そういえばあけぼの号といえば給水機が残っていた貴重列車でもあります。

紙コップも特殊でよくある円形ではなくポチ袋みたいな形状なんですよね。

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森岳あたりで目が覚めます。

なんでかこの光景だけ写真ではなくて記憶にも鮮明に焼き付いてるんですよね

写真よりも記憶のほうが凄い綺麗な朝焼けが見えてました……

羽後本荘→青森は通常の特急の一部として立ち席特急券でも寝台を使わずならB寝台開放の空席を使えました(いわゆる昼寝利用)

車内ではとっかえひっかえ旅客が入れ替わります。景色も山間部の山の中になります。

景色も開けてくると新青森を通り青森に到着します。

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青森では到着と同時にDE10に付け替えを行い青森車両センター(現、盛岡車両センター森派出所)へ回送します。

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そのまま私は本州最北端の駅、三厩駅を目指します。

進行方向、右手には陸奥湾左手に2年後に開業予定の北海道新幹線の高架を眺めます。

当時のJR北海道との境界駅中小国を過ぎて列車は進みます。

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暫く乗っていると三厩駅に到着しました。風がこの段階で強かったのを覚えてます。

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左側の海の向こうにうっすら雪山が見えますがあれが北海道です。

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少し海を眺めてきた列車で戻ります。

蟹田駅にてスーパー白鳥に乗換ます。スーパー白鳥も2年後の北海道新幹線開通よって消える列車ですので早いうちに乗っておきます。

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この車両自体は今では札幌口では見れるとかで見に行きたいですね。

さすがにドア横の青森と函館を結ぶデザインは外されてるかもしれませんがね。

そんなこんなで津軽線乗車は終わり青森に到着しました。

このころは数年後に再度、訪れるとは思いませんでした(笑)

anmuku001.hatenablog.jp

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青森到着後は市内を少し歩きます。まずは、青函連絡船八甲田丸です。

続いて尋ねたのは青森グランドホテルのパン屋です。

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実は、まだ小学生の頃に父親と東京を0時に車で出て12時間かけて大間崎(泊)→青森→十和田(泊)→八郎潟→東京という旅行をしてなぜかここのパンを覚えていたんですよね。

そしていざ入ってみるとケーキ屋に変わってました。係りの人に聞いたら当時のことを知るホテルの方で「シフォンケーキなら当時もあったからいいのでは?」ということで購入、変わらずおいしかったですね。

※この旅行の同じ年の8月31日をもって閉館解体となりもうあの味は楽しめません。

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つづいて善知鳥神社(ウトウジンジャ)です。

坂上田村麻呂の征夷の中心とした神社と言われています。

しかしながらそれより前の古墳時代からの言い伝えもある神社であります。

また、奥州街道の終点でもあり青森市街の中心地でもあることから青森郵政始まりの地でもある青森市街にとってはなくてはならない存在の神社です。

宿で一息ついて青森駅であけぼの号の出発を見送ります。このために駅前のホテルにした記憶があります。

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そのまえに白鳥として北海道からやってきた列車を撮影します。

先ほどのスーパー白鳥と同じ理由で2年後に運行終了です。

この系式自体は完全に引退となりました。

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メインのあけぼの号です。上野ほどではありませんが見送りの方が多くいらっしゃいました。

翌日は新青森駅先端から上野発の夜行列車の撮影をします。

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そのまま特急つがる大鰐温泉にて途中下車します。

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やってきたのは駅近くの日帰り温泉施設です。

折角、温泉があるならと入浴していくのは昔から変わらないようですね。

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入浴後は弘南鉄道を眺めて秋田方面の列車を待ちます。

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この列車で気になる駅を途中下車しつつ追分へ向かいます。

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何となくで男鹿線に乗車して単に男鹿にいってきました。

その後はひたすらに秋田から鶴岡に向かって南下していきます。

記憶が正しければ鶴岡までなら普通列車で先回りができるとかなんかだった記憶があります。

秋田からの701系は通勤通学客を乗せて南下していきます。

途中の駅ではドアを開けずに山と海に挟まれた暗闇に停まっては動いてを繰り返し羽後本荘を経由し酒田へ

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酒田で乗換たキハ40系列は2両ですが旅客は自分のみ

車掌の味のある声と気動車の音と乗り心地を楽しみます。遠くに見える国道の街明かりを眺めつつ列車は鼠ヶ関を目指します。

ちなみに今も乗れる列車の車窓で好きな区間はどこか?と聞かれれば今も残っているこの区間の日没後左側車窓を1つの答えとしてふと上げるかと思います。

鶴岡では特急いなほを撮影します。

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先ほどの青森の485系の色違いですがこちらは新潟所属です。

この車両もいなくなってしまいましたね。

ここで不吉な放送が入ります。

あけぼの号が運行予定の路線で動物と衝突か何かがあったとのことで遅れるとのことでした。

駅員がもうあけぼの号しか来なくなった駅の待合所に一人残っている私を発見しあけぼのに乗ることについて話になりました。

結局60分程度の遅延で到着したあけぼの号に乗り込みます。

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そのまま寝るわけですが……翌日の6時頃に目覚めると高崎にいまだに到着しておらず。車内放送でしきりに高崎での乗換が案内されておりました。

話によるとこのまま乗って上野に行ってもいいが都心が通勤ラッシュで何時つくかわからないのとことで新幹線に乗り換えになりました。

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そんなこんなで私の客車寝台特急はここで終了となりました(笑)

 

ふと、昔の話を思い出すのもいいですね。

客車寝台、乗るとしたらお金貯めてJR九州ななつ星ですかね?